気まぐれ日記 2014年10月


2014年9月はここ

10月1日(水)「現場見学付きの講演会・・・の風さん」
 朝食は和食とバイキングの洋食だった。今朝の気分は和食だった。
 しかし、サービスは一人しかおらず、しかも高齢の女性だった。他の客のちょっとした注文にも柔軟に対応できていなかった。
 隅っこの席にいた私のことなど、まるで眼中にないようだった。
 しかし、15階の眺望はすばらしく、1年にめったにないリラックスした朝だったので、全然気にならなかった。
 部屋に戻って、今日の午後からの講演スライドの見直しに取り掛かった。
 最初にやったことは、Windows8で作成したものをMacできれいに見せられるようにすることだった。
 OSが違うと文字のフォントを始めとして調整が必要だ。
 それが終わってからが勝負だった。いかにスライドを増やすことなく(むしろ減らしながら)分かりやすくするか、だ。
 十分な睡眠で体力がもどっていたので、集中力を発揮することができた。創造力を要する知的な作業でも、基本は体力と集中力である。
 午前11時までに気に入ったスライドができて安心した。
 お昼過ぎに迎えが来て、講演会場となる工場へ向かった。天気も好くて、気分も乗ってきた。
 講演前に現場見学があった。今回は生産技術者を対象とする講演なので、こういうパターンになったが、その後、技術者との懇談もあったので、講演で現場見学の印象に触れる必要はなくなった。
 講演にはたくさんの方が聴講に来てくれた。
 2時間もらえたので、3つのブロックに分けて、予定通りに講演した。
 途中でこちらから質問をして反応を確かめたが、もっと分かりやすい講演内容にするべきだったようだ。反省、反省。
 講演後、トップマネジメントの方にご挨拶できたが、この方は元デンソーというだけでなく、共通の友人をもっていることが分かり、この出会いが非常にうれしかった。
 いったんホテルに戻った後、懇親会に出席した。
 講演の感想を聞いて、補足説明したり、次の講演へのフィードバックをするためにも、こういった場は重要である。
 懇親会はマネージャー層が中心だったので、私を落ち込ませるような発言はなく、私のキャリアの意外性に対する質問が多かった。体調不良もあってたくさん飲むことができず申し訳なかったが、もっともっとくだけて話ができれば、確実に本音の深い話ができる人たちばかりだと思った。
 できればまた来たいが、お座敷がかかるかどうか待っている芸者稼業なので、勝手はできない。

10月2日(木)「立山カルデラ・・・の風さん」
 台湾からの団体観光客が多かったせいもあって、洋食バイキングがいっぱいで、今朝も和食レストランへ行った。
 出されたメニューは、デザート以外昨日と全く同じだった(笑)。
 チェックアウトのとき、こちらから言わなくても、メンバーズカードのことを聞かれた。忘れたと答えたら、コンピュータで調べてくれ、ポイント申請のハガキをくれた。本当に最近のサービス業の行動は、ビジネスの基本を徹底している。感心した。
 富山空港の無料駐車場でKさんと待ち合わせ、Kさんの車で立山カルデラへ案内してもらった。富山をしっかり理解してもらおうというKさんの企画だったが、天気も抜群に好く、これは素晴らしい体験だった。
 折しも御嶽山の噴火があり、今日の立山カルデラ見学と合わせ、地震国日本をあらためて理解することができた。
 それにもまして、山岳地帯の景色の素晴らしさである。このあたりに旅行に来たいと以前からもらしていたワイフのための下見にもなった。
 富山空港の戻って遅い昼食を摂ったあと、Kさんと別れ、私は空港の土産物屋で買い物をした。
 家路につくころ、雨が降り出した。天気予報通りだった。
 立山カルデラの見学でかなり歩いたので疲れが出、途中で何度も休憩しながらのドライブになった。
 岐阜県に入るころから雨は小降りになり、愛知県ではほとんど降っていなかった。
 8時半過ぎの帰宅だったが、夕食は家で摂ることができた。
 立山カルデラの素晴らしさが最大の土産話だった。

10月3日(金)「今年最後のピーク・・・の風さん」
 普通に起床し、午前中に10通のメールを出した。
 午後からキャメロンで出かけ、役所に寄ってから2ヶ月ぶりの床屋へ行ってさっぱりした。
 帰りに薬屋で買い物をし、キャメロンに給油した。今週は約750km走ったところで、燃費は12.4km/Lほどだった。エアコンを使っているので、長距離を走ってもあまり良くないな。
 返信メールを確認したが、新たなメールは出さないことにした。
 出版社から届いているゲラをチェックする元気はなく、だらだら過ごしながら就寝した。
 年内最後のピークを乗り切った気がする。
 もう今年はピークを作らないように心がけよう。

10月4日(土)「著者校正が完了せず・・・の風さん」
 今日中にゲラの校正(+索引候補の抽出)を完了させようと頑張った。が、できなかった。
 初めて本の形で印刷されたものを見たせいか、修正箇所が多い。小さなミスよりも、元の原稿が不正確だったことも発見した。
 こうなると、ますます校正に力が入る。ペースは落ちるが仕方ない。
 とうとう午前零時も過ぎて、行けるところまで行け、という感じで作業を継続したが、未明で作業を中断した。
 来週もやることが多い。こんなことでいいのだろうか、と思いつつまた書斎でダウン。

10月5日(日)「著者校正は終わったものの・・・の風さん」
 午前4時にダウンし、そこからゾンビのように復活したのは、昼前だった。
 何とか夕方、本文の著者校正を終え、続けて「はじめに」と「おわりに」の校正に着手した。
 夕食前にやっと作業が終了したので、小雨が降る中、クロネコに頼むためコンビニへ向かった。
 台風が来ているので天気が悪く、外の往来は閑散としていた。
 御嶽山の捜索は今日も中断したままだ。
 本文の校正が終了したからと言って、仕事は終わりではない。
 巻末の参考文献一覧の見直しと、簡易年表の仕上げが残っていた。
 参考文献一覧の見直し(追加・削除と並べ方の工夫)は、比較的早く終わったが、年表はそうはいかなかった。
 本文の校正はクロネコで7日の午前着なので、せめて参考文献と年表のデータは6日の朝までにメール送信したかった。
 昼夜逆転に近い状態になっていたので、午前零時を過ぎても頑張れた。
 メール送信まで終了したのは、午前5時だった。

10月6日(月)「疲労は抜けず・・・の風さん」
 入浴して久しぶりにベッドに倒れ込んだのは午前6時だった。
 現役の会社員だったら、今日は有休をとるしかなかった。思い起こせば、そういう生活を退社前の1年間は続けていた。
 そう。私はもう退社する運命にあったのだ。しかし、会社に行かなくてもよくなっているのに、なんだ、この生活は!
 昼過ぎにメールチェックすると、台風が東京を襲っていて、編集者は出社せず、自宅で仕事をしているという。
 何はともあれ原稿がわたしの手から出版社へ渡せたのはよかった。
 著者校正はあと1回である。
 午後から出かけようと思っていた。12月のドイツ旅行の費用の2回目の入金である。
 わたしが疲れた様子を見せていたせいだろう、ワイフが買い物のついでに行ってくれることになった。
 助かった。しかし、手に入った時間で仕事はできなかった。昼寝してしまった。

10月7日(火)「ドイツ語の勉強を開始・・・の風さん」
 今朝は町内のごみステーションの清掃当番だったが、わたしは疲労で早起きできなかった。
 何もせずダラダラ過ごすわけにはいかない。
 午前中に、レターパック2通と事務手続きの郵便物を2通準備してから、昼食後、キャメロンで出かけた。
 役所で用事を済ませてから、郵便局に寄って投函と同時に新たにレターパックを4個購入した。年間で何通のレターパックを出していることだろう。便利なのである。
 それからガソリンスタンドに寄って、自動洗車した。天候は不順だが、月に1回は洗車しておかないと、汚れがこびりつく。
 TOEIC受験も終わったし、12月はドイツへ出かけるので、ドイツ語の勉強を始めた。
 5年前に学会発表のためにドイツに行ったときは、旅の後半が観光旅行だったのに、とてもドイツ語の勉強をしている余裕がなかった。
 30年も前に猛烈にドイツ語を勉強した経験があるし、会社の仕事で出張したこともあったので、ドイツ語を勉強していけば、旅の楽しみは倍増するはずだった。なので、今度こそ、という思いがある。
 とりあえず、8月から録画しておいたNHKの「テレビでドイツ語」を視聴することから始めた。

10月8日(水)「皆既月食・・・の風さん」
 朝から天気もよかったので出かけようと思ったが、イマイチ元気が出ず、書斎でのデスクワークに専念した。
 今日も新たなレターパックを準備し、出したかったメールをたくさん送った。
 セントレア空港のある常滑市の商工会議所とはお付き合いがある。
 国際空港があるおかげで、発展の余地がある土地なので、私も微力ながらお手伝いしたいと思っている。
 かつて空港が完成する前に、その仕事の関係で常滑にやってきた人々と、地元の(主に事業関係者だが)人々の交流を促進する「きらく会」というのがあった。空港完成とともに、その活動は終了していたが、近年の外部からの事業参入に合わせて、再開するという。
 私にも声がかかったので、先ずは顔を出してみることにした(が、初回は都合が悪く欠席)。
 今夜は皆既月食だった。
 幸い空は晴れていて、地球の大気をレンズにして屈折した光が投影された、赤っぽい月が見られた。
 ワイフがiPhone5で撮影しLINEにアップした。ドイツの次女に見せるためである。
 しかし、また次女の書き込みがしばらく中断している。
 厳しい状況になっているのかもしれない。

10月9日(木)「国際免許証も同時取得・・・の風さん」
 来週は誕生日ということもあり、5年ぶりの運転免許更新に出かけた。
 5年ぶりということは、前回は学会発表のためにドイツに行く直前だった。ドイツでレンタカーを運転するため、急きょ国際免許証も取得した。
 偶然だが、今回もそういうことになった。
 5年前と同じように、一気に手続きを終えてしまうため、愛知県の運転免許試験場までキャメロンで出かけた。
 小雨がぱらつく中、9時半に自宅を出発し、行きはすべて有料道路を使った。
 45分間のドライブで到着し、総合案内所で今日やりたいことを伝えて、すべての段取りを教えてもらった。
 流れるように作業を進めた。優良運転者なので、余計なことは一切ない。国際免許証取得のために必要な、パスポートも前回取得した免許証も持参している。
 安全運転講習が終了したのは、11時30分だった。
 帰りに会社の知り合いとバッタリ会った。私より3年早く退社していたそうだ。色々な人生がある。
 復路は一般道を使って、午後1時20分ころ帰宅できた。
 帰りも小雨がぱらついていたが、キャメロンはそれほど汚れなかった。
 昼食を摂ってから、疲労が出て昼寝した。年をとるとどんどん赤ん坊に近い生活になるな(笑)。
 今日は愛工大の学園祭である。社会人学生のときに見物に行きたかったが一度も行けなかった。今もご縁が続いているのに行けない。人生、欲張っても、キャパを超えることはできないのだろう。

10月10日(金)「ドイツビールに酔った日・・・の風さん」
 ワイフも用事があって電車で出かけるというので、一緒に最寄りの駅から名古屋へ向かった。
 ワイフの時間に合わせたので、わたしは目的地に30分近く早く着いた。
 今日はJMAの生産技術マネジメント研究会だった。始まる前に、JMAのスタッフと10分ほど打ち合わせができた。
 午前中は、名古屋大学の先生の講演聴講だった。
 21世紀になって名古屋大学と関係する先生のノーベル賞受賞が相次いでいる。京都大学と同様に自由闊達な風土と、モノづくり企業の多い土地柄が関係しているような気がする。若い人たちに、ぜひこの伝統と風土を継承してもらいたいものだ。
 昼食後、グループディスカッションになった。グローバルがテーマなので、経験の浅いわたしは、あまり有効な情報を提供することができない。
 それでも、メンバーより人脈は豊富なので、これまで聞きかじったことは多い。とりあえず、それらを提供しているのだが、イマイチ迫力がない気もする。
 時間とともに議論は行き詰ってきた。
 そして、わたし自身も体力の限界に近付いて来た(自宅なら昼寝していただろう)。
 会合が終わってから名古屋駅の高島屋の東急ハンズでワイフと合流した。
 ドイツへ行くための旅行トランクの下見をした。かつて海外旅行で使用したトランクはもうない。30年以上ももつはずがない。
 夕食は、ドイツのビールと料理の店に行った。『江戸の天才数学者』の発行部数が1万部をこえたら、今は亡き恩師、大野先生と祝杯を上げようと決めていたレストランだ。その夢は果たせなかったが、次女のおかげでドイツ旅行計画がおこり、ワイフと5年前の思い出にひたることができた。ソーセージとザワークラウト、ピルスナー、すべてドイツの味がした。
 店にはドイツ人らしい娘さんも働いていて、気分は大いに盛り上がった。
 たった1杯のビールでワイフもわたしも酩酊してしまった。
 帰宅して、ドイツ語講座の録画を観、さらにわたしは、3度目の「アナと雪の女王」を鑑賞した。

10月11日(土)「国の年金受給・・・の風さん」
 また大型の台風が近付いている。最近は勢力の強い台風ばかり発生するような気がする。気候は絶対におかしい。
 昨日は、帰宅したら、楠木誠一郎さんの新作が届いていた。
 コスミック・時代文庫で『子分は将軍様』である。将軍様が江戸城から出て活躍する話があるが、当然ヒーローである。この作品はどうやら脇役らしい。ボケ役かもしれない。アイデアと想像力があれば、ストーリーのネタは無限にあるということだ。
 来週は61歳の誕生日をむかえる。超多忙な会社生活を送っていた頃は、自分の誕生日に関心をもつ余裕はなかった。
 しかし、退社後にむかえる61歳の誕生日は、特別な意味がある。わたしの場合、国の年金を受給開始できるからだ。
 つい10年くらい前までは、定年も退職も年金もわたしの辞書にはなかった。
 一生がむしゃらに働くものと思い込んでいたからだ。
 ところが、気持ち通りに心身が動かなくなってきた。それが現実だった。
 年をとって老眼になるのと同様に、以前と同じ行動がとれない、というより同じ行動をとってはいけない、と警告があらわれるのだ。
 だからわたしは、雇用延長を申請するのもやめて、自分が一番やりたい執筆に専念すべく退社したのだった。
 売れない作家にとって、年金の受給はきわめて重要な生活条件になった。
 来週から、国の年金受給の手続きを開始するので、今日からの3日間は、たまった仕事を一気に処理するつもりである。

10月12日(日)「玉ねぎケーキ・・・の風さん」
 大型の台風が近付いているが、幸いまだ外の様子に大きな変化はない。
 昨日から続けていた名刺の整理を昼食までに完了した。8月以来だったので、58枚の名刺がストックされていたのだ。
 その勢いで、残っている雑務をさらに片付けて行った。
 ドイツの次女から久しぶりにLINEへの書き込みがあった。ワイマールの玉ねぎ祭りを楽しんだという。
 玉ねぎ祭りって何だ? ワイフと顔を見合わせた。
 ワイマールは玉ねぎの産地だった。ミュンヘンでビール祭りのオクトーバーフェストがあるように、ワイマールは玉ねぎ祭りらしい。
 玉ねぎケーキというのもあり、写真を見ると美味しそうだ。
 ドイツ語で「zwiebelkuchen」と書く。ケーキというよりパイかキッシュだな。
 来週の講義の準備をしようと思っていたが、着手できなかった。
 就寝前に1時間ほど読書して、本日は閉店。

10月13日(月)「アレルギー反応・・・の風さん」
 世の中は3連休なのでわたしも気分的に3連休にして、関係者が休んでいる間に自分のたまっている仕事を片付けることにしていた。
 昨日まではまあまあそんな感じで、いくらか雑務の処理なども進んだ気がした。
 しかし、今日はそれも午前中までで、午後からは昼食後に昼寝してしまい、ペースが乱れた。
 昨夜7時間も寝ていたのだが、ここのところずっと花粉症というかアレルギーが出ていて、体調がスッキリせず、鼻炎用カプセルを服用したことで副作用が出て体がだるくなり、リビングで爆睡してしまった。
 そうこうしている間に台風19号が当地を襲撃していった。
 夕方にはiPhoneが大雨・津波警報を受信した。意識していなかったが、iPhoneは受信設定になっていた。
 しかし、何も被害はなかったようだ。
 御嶽山の捜索は今日も明日も中止とのことだ。
 今夜も、就寝前に1時間ほど読書して閉店した(午前2時)。

10月14日(火)「低効率の仕事ぶり・・・の風さん」
 今日も講義の資料作りから始まった。なぜか手こずっている。やる気がないわけではない。体調は良くないが。
 結局、頭が整理できていないことに気が付いた。こういう場合は、できるところからやるしかない。
 そうなると雑用を(LINEゲームも)しながらの作業となる。やはり効率は悪い(当然か)。
 書斎の窓から眺める外の世界は、台風一過で晴れているが、気温が低い。とうとう夏の服装から長袖長ズボンスタイルに変更してしまった。
 その恰好で、昼食後また昼寝してしまった。今日も薬を服用したので、そのせいかもしれない。
 目が覚めたらもう夕方だった。
 帰宅したワイフから「へそ出して寝てたわよ」と指摘された。もう死ぬしかないか。
 夕食後に最後の力を振り絞って資料作りに取り組んだが、やはりできなかった。
 また今夜も、就寝前に1時間の読書。閉店も午前2時。

10月15日(水)「やっとテキストが完成・・・の風さん」
 今日完成させることができなければ永遠にできないような気がした。
 とはいえ、雑用もしっかりこなしながら、テキスト作りを続けた。
 ベネッセから怪しい封書が届いた。開いてみたら、お詫びの手紙。あ、そうか。個人情報流出の件か。しかし、なぜ我が家に?
 思い出した。次女がチビの時に「こどもちゃれんじ」というのをやっていた。
 そのときのデータも流出したようだ。
 とにかく当時のデータが残っていたから、我が家にこのお詫びの手紙が届いたのだ。
 昼頃、郵便局にも行ってきた。本籍地に戸籍謄本を請求するのに、定額小為替が必要だったからだ。
 購入してすぐ封筒に入れて投函した。
 戸籍謄本は、国からの年金受給の申請書に添付するため必要なのである。 
 いよいよ年金生活か……(しんみり)。
 今夜はスパークリングワインとフランスパンが食卓に並んだ。フランスパンは、私のお気に入りの店ポンパドールのものだ。これは実に美味い。
 スパークリングワインも極美味だったが、最近アレルギーがひどいので、グラス一杯だけにしておいた。
 就寝だいぶ前にテキストが完成した。すぐ送信しようと思ったが、こういったクリエイティブなものは、少なくともひと晩寝かせる必要がある。
 就寝前の読書は今日も同じ。

10月16日(木)「今日はマルチタスク・・・の風さん」
 昨年もそうだったが、昨日はフェイスブックに誕生日おめでとうメッセージがたくさん届いた。
 ふだんフェイスブックはほとんど見ていないが、こういう時はありがたく開いて、一つ一つにお礼の言葉を書き込んだ。
 午前中に、昨日完成したテキストを見直して、メール送信した。やはりひと晩寝かせたのは正解だった。少しまともになった。
 続けて、次の週のテキスト作りに着手した。
 一方、年内出版予定の本のゲラが、やはり午前中に宅配で届いた。
 第二回目の著者校正をするのだが、今回のゲラはすべての原稿がそろっているし、図表も入っている。
 いよいよ出版が近いという実感がわいてくる。久しぶりの感動だ。
 今日は、まえがきとあとがき、参考文献一覧、そして年表について検討した。
 このところ体調不良が続いているが、今日は薬は飲まず、昼寝もせずで頑張った。
 深夜、来年発行される「数学文化」に収録してもらう掌編小説の挿絵のラフが、京都の長男から届いた。
 私の小説をしっかり読んでないことを指摘した(笑)。

10月17日(金)「無理せず着々と・・・の風さん」
 朝から快晴である。秋はこういう日が、もっとも秋らしく感じられる。
 相変わらず仕事のペースはのろいが、先の仕事を詰め込み過ぎないように工夫すれば、何とか乗り切れそうだ。
 明日は早朝からの講演会(非常に興味深いテーマ)に誘われていたが、断念することにした。
 当面の課題は、明日のマイスタディ講座、ゲラの第二回目の著者校正、来週以降の講義テキスト作成である。
 次回のマイスタディ講座は、新鷹会の勉強法について語り、いよいよ作品の朗読とディスカッションになる。今日は、新鷹会について理解してもらうための資料(全6ページ)を作成した。
 ゲラの著者校正は、昨日に続けて、今日は4章分やった。ヤマ場は日曜日となる。
 今日はこの年内出版予定本のカバーデザイン案が届いた。4回目のお付き合いにあるが、装丁は中島かほるさんである。
 宅ファィル便でダウンロードしたPDFを開いた。息を飲むような美しい表紙で、もう感激を通り越して東京の方へ向かって最敬礼である。
 講義テキストも、一気に仕上げることはできないので、関係ありそうなスライドを集める作業をした。
 午後、買い物に行き、キャメロンの自動洗車もしてきた。カーポートには入れていたが、先日の台風で汚れていたからである。
 今日は、一つ驚くことがあった。
 東京の本籍地の市役所からもう戸籍謄本が届いたのである。
 これで来週住民票を入手して、申請書類を書けば、再来週にも年金事務所に行くことができる。

10月18日(土)「実りある第二回マイスタディ講座・・・の風さん」
 昨日作成したマイスタディ講座の資料を図書館に届け、その足でワイフとお墓参りに行ってきた。
 今日は亡き母の命日で、半月後に三回忌となる。
 お寺は珍しく混んでいた。大規模な法事がおこなわれていたようだ。
 供花を替え、墓石周辺の掃除もしたが、もちろん三回忌の直前にまた来なければならない。
 帰宅し、講義テキスト作りの続きをやった後、今日のマイスタディ講座で配布する「大衆文芸」を21冊ほど選択し、一覧表も用意した。
 5時から始まったマイスタディ講座は、12本もの作品が提出され、一人6〜7分程度で、朗読と質疑応答を繰り返した。
 もともとの文章サークルのメンバーが3人まじっているが、新しいメンバーの作品は、どれもこれも意欲作で(みなさん、真剣に取り組んだ後があり)議論の価値が十分あった。些末なことの指摘などなく、内容についてのディスカッションが中心だったのは、今後の発展の期待が大いにあることの証明である。
 次回は、原則、今回の作品の手直しをしてくることと、最終的にこの講座が終了したら文集を作ることが決まった。
 今夜は就寝前の読書をする余裕がなかったが、ゲラ校正を3章分こなした。

10月19日(日)「阪神4連勝の勢いをかって・・・の風さん」
 久しぶりに朝刊を楽しく読んだ。
 阪神が巨人に4連勝で日本シリーズ進出を決めたからである。接戦をものにするのもいいが、4タテは壮快である。
 そもそも今年のレギュラーシーズンは途中までおかしかった。セリーグ内で唯一中日にしか勝ち越していない巨人が首位を走るようになったからだ。
 原因は交流戦である。なぜかパリーグのチームは巨人に白星をたんと献上した。その結果が上記のとおりである。それで、巨人は勢いづいてしまったのだ。
 なので、日本シリーズに巨人を送り込んでも、優勝は期待薄だった。
 ま、とにかく、阪神が勝ってよかった。
 以上が、強いときだけ現れる阪神ファンの風さんのコメント(笑)。
 わたしもその勢いで今日は頑張った。
 夕方からワイフと一緒に名古屋に近いイオンモールまで買い物に行った。
 母の三回忌の引き出物、明日の同期会のお土産、そして私の財布。目的達成。
 帰りに著者校正ゲラをクロネコに頼み、帰宅してから来週の講義テキストをデータ送信した。

10月20日(月)「同期会ばんざい・・・の風さん」
 昨日、予定より1日早く校正ゲラと講義テキストを送付したので、今日はたまっていた懸案事項を一気に解決しようと朝から頑張った。
 月曜日だからだろう。非常に混んでいた。
 今日は内科で、定期健康診断でひっかかった血圧の受診である。昨年と今年のデータを持参した。
 数年前にも診てもらっているので、話は早い。
 今日の診察前の計測ではまったくの正常値だったが、「副作用がなければ服用しておいた方がいい」という予想通りの結論で(血圧は変動するし、わたしも抵抗できる年齢ではない)、新しい薬を処方してもらった。
 その間ににわか雨が降って、キャメロンが濡れた。今日は気力が充実しているので、しっかりセーム皮もどきで拭いてから病院を出発した。
 昼前に町役場に寄って住民票をもらった。年金手続きのためである。
 続いて、薬局とガソリンスタンドに行った。
 遅い昼食後、今夜の同期会のスピーチ用レジュメなどを準備した。このレジュメはスピーチを省略するためのものである。
 夕方までに本格的な雨降りになった。
 ワイフとキャメロンで出かけたのだが、荷物も多くて、駐車場が悩みだった。結局、入社以来だから、もう34年以上も通っている理容店の駐車場にとめさせてもらった。
 今回の同期会の口実はわたしの退社(最年長だから同期で一番早い)と還暦到達(実際は先週61歳になった)だったが、予想外に多い13人も集まってくれた。
 同じ職場に配属された同期で始まった同期会だが、今でも元の職場にいる人はいない。そして、配属職場は違っても縁の深い仲間も集まるようになった。同期会の顔ぶれは少しずつ多彩になってきている。これは人生の醍醐味である。
 今日も高密度に行動した1日だった。だから疲れた。
 明日の準備は適当にして、リビングでダウンしているワイフを尻目にわたしは就寝の準備を急いだ。

10月21日(火)「9時間かけて上京、疲れなし・・・の風さん」
 普通に起床したが、既にワイフは名古屋へ出かけていて、姿は見えなかった。
 今日わたしはキャメロンで東京へ出かける。
 昨夜ほとんど準備していなかったので、朝食後に集中してやった。慣れていることとはいえ、やはり2泊3日の準備は大変である。
 それからゲラ校正で残った調査課題があった。上京すると手元に資料がなくてできないので、出発前にやれるだけやることにした。
 そのお蔭で成果が得られた。半分解決したに等しい。この成果をあちこちへメール送信してから家の外へ出た。
 昨日の雨が上がっていたので、濡れているキャメロンをまたきれいに拭いた。
 結局、出発は10時半になってしまった。
 平日で、もう通勤通学の時間帯からは外れているはずなのに、有料道路は混んでいた。
 名古屋で伊勢湾岸道路に乗り換えるのだが、進入路を警察のパトカーなどで封鎖されていて、また予定が狂った。なぜ封鎖されていたのかは不明。
 やっと東名にのれたと思ったら、音羽蒲郡から先が渋滞で、通過に2時間以上かかるという電光掲示が出ていた。
 迷ったあげく、岡崎インターでおりて、一般道を走ってやり過ごすことにした。
 1号線を突っ走って、豊川でお昼になったので、マックに寄って休憩した。
 さらに東海道をひた走り、気が付いたときには浜松目前で、そこからハンドルを内陸側へ切り、多米峠をこえて浜名湖を右手に見ながらさらに走り、三ヶ日インターからやっと東名にのった。このあたりは会社の研修で何度も来たところだ。思わず懐かしさがこみあげてくる。
 いつもの新東名に入れなかったのは少し残念だったが、今日は懐かしの旧東名を走ることにした。
 ところが、旧東名は、集中工事期間の真っ最中で、ほとんどが車線規制で一車線しか走れず、制限速度50キロだった。
 牧ノ原サービスエリアで抹茶ソフトを食べ、厚木から圏央道路に入ったころはすっかり夕闇に包まれていた。わたしの横を猛スピードで走り抜けたワゴン車がすぐ覆面パトにつかまった。どじな奴だ。
 中小企業大学校東京校に着いたのは午後7時半だった。しかし、電車で来るより疲れは感じない。やはりクルマ好きというか根っからの運転好きなのだろう。
 気に入っているレストランまで、歩いて晩ご飯を食べに行った。
 部屋にこもってメールチェックすると、ゲラ校正に関して、出版社から重い提案があった。これはちょっと考える必要がある。
 約束通り午前零時前に、長男から挿絵のデータが送られて来た。わたしの掌編小説に使う挿絵である。
 先週送られて来たラフスケッチは問題が多く、あれこれと著者の視点で指摘してやったところ、今夜の絵はまずまず検討に値するものだった。
 またいくつか指摘してメールを送り、これで今日の仕事はだいたい終わったが、ゲラ校正の懸案事項は寝ていても考え続けることになるだろう。

10月22日(水)「今日もたっぷり仕事した・・・の風さん」
 眠りが浅くなった未明に昨夜の懸案事項の解決策がひらめいた。
 やや比ゆ的な表現になるが、歴史資料に関して困ったときは1次資料にあたるべし、ということだ。
 少し早起きして、東北大学附属図書館の司書の方へ原書を確認してくれませんか、とメールを送った。書斎の執筆マシンがないので、アドレスが不明だったが、ケータイのアドレス帳に保存してあった3つの宛先へ送ってみた。
 今日は朝から雨で、屋外を眺めていると気が滅入る。
 講義室へ顔を出してからも別の懸案事項の対策をとった。本の帯につけるらしい顔写真の撮影である。早くやってきた受講生にお願いして写真を撮ってもらった。持参したデジカメがなぜか作動しなかったので、iPhoneで撮ってもらった。
 通算3回目の講義は順調に進めることができた。
 昼食後、クルマが趣味だという受講生を駐車場へ連れて行き、キャメロンを見せた。ボンネットも開けて改造してある様子を自慢げに説明した。
 面白がってくれたので、キーを貸してあげたら、喜んで校外へ乗って行った。
 車重の軽さと排気音の心地よさが印象的だったそうだ。
 残っていた昼休みの間に、今朝撮ったケータイの写真をメール送信し、持参のMacbookAirで受信して、出版社へ送った。
 著者の写真はこれで一件落着してほしい。
 予定通りの5時に講義を終えた。
 早朝から頑張ったので、疲れを感じた。これで1日の仕事が終了ならいいのだが、退社して半年も経過しているのに、そういう生活はまだ始まっていない。
 相変わらず雨が降っているので、外へ食べに行く気にはなれない。冷たい雨だ。
 校内の食堂で、しっかりと和食の夕食を摂った。
 東北大学附属図書館の司書の方からの返信は今日はなかった。
 昨日出版社から送られてきたゲラ校正に関する非常に多くの質問事項に対する回答を終えたのは、午前1時近かった。
 アレルギー気味なので、仕事を終えてもアルコールは飲めない。

10月23日(木)「1次資料に探しているものがあった!・・・の風さん」
 降りは弱まったが、まだ雨模様で、何となく寒そうだ。
 8時半に朝食を済ませ、チェックアウトの時刻まで部屋で気まぐれ日記をまとめて書いたりした。アップするのは、帰宅してからだ。
 10時15分に出発することができた。一昨日と似た遅い出発だが、渋滞がなければ帰宅はそんなに遅くなるはずはない。
 場所的に中央道を通って帰る方法があることに気付いた。どうせ猛スピードで走るわけではないので、最高速の設定が低い中央道でも所要時間に差はないと思う。今回はやめるが、次の楽しみができた。
 一昨日の逆コースを走っているはずだが、景色が違うととまどうことも多い。圏央道路に入る前に間違えてしまった。ナビの不調もあったが。
 雨は次第に小降りになってきた。
 以前寄って気に入った鮎沢PAの野菜ラーメンで昼食にした。テレビではワールドシリーズの第2戦が終わったところで、1勝1敗のタイになったようだ。日本シリーズも近いな。雨はほとんど上がっている。
 続いて、新東名の浜松でコーヒータイムにした。ここまで、ゆっくりながらも順調に来たので、帰宅時刻が予想できた。うちへメールした。
 6時半ころ家に着いた。
 今日もほとんど疲労を感じない。これからもなるべくキャメロンで遠出しよう。
 帰宅してからメールチェックすると、東北大学附属図書館の司書の方から返信があり、1次資料を確認したところ、私の探していたものを発見したという。これは飛び上がらんばかりの喜びだった。忙しい中調べてくれた司書の方に感謝感謝である。
 早速、出版社に中間報告した。

10月24日(金)「OBでも勉強になった工場見学・・・の風さん」
 東京から帰宅した翌日だが、自宅でのんびりしていられない。
 7時半にキャメロンで家を出発し、デンソー西尾工場へ向かった。今日は生産技術マネジメント研究会がある日だ。
 予約してもらったので、事務棟の真ん前にキャメロンを駐車できた。
 皆と合流して、午前中は工場見学だったが、本社から部長もかけつけてくれ、非常に丁寧に案内してもらえ、OBのわたしにとっても非常に勉強になった。
 午後はチームミーティングだったが、時間を忘れてディスカッションした。グローバル対応は難しいテーマである。
 しかし今日は、かなり議論が本音に基づく内容になってきて、ようやく本質的な研究をスタートできそうな雰囲気になった。
 すっかり夕闇迫る中、キャメロンで帰宅したが、さすがに疲労を感じてきた。
 退社以来、ほとんど休みのない日を送っている。
 夜、最近のナビの不調について、念のため取説を読んでいたら、発見があった。
 キャメロンへの装着方法を間違えている可能性があるのだ。これは明日カリチューに確認する必要がある。

10月25日(土)「ナビの不調の原因が判明・・・の風さん」
 朝食後、キャメロンへのナビの装着方法について、カリチューに問い合わせた。
 しばらくして調査結果が電話でもたらされた。やはり電圧コンバーターなしで接続したという。
 ナビはDC5V仕様だったが、バッテリの12Vをそのままつないだことになる。今まで半年間、仕様の倍以上の負荷をかけ続けたわけだから、使用中に突然電源が落ちるということは、電気回路にダメージを与えていた可能性がある。
 今ならまだ救えるという期待をこめて、別売りの直結ケーブルをネットで探して発注した。ついでにお急ぎ便を利用したので、明日届く。配線のやり直しはカリチューの仕事だ。
 午前中、町の文化祭を見学に行った。ワイフのトール教室の展示を見るのが主目的だが、楽しみは他にもある。毎年、絵画や書道に傑作が多い。
 今年は、生け花も押し花もよかった。そして、抹茶もいただいた。
 帰宅してから、11月11日の講義のテキスト作成に取り組んだ。簡単にはできない。てこずりそうだ。
 今日は、東京では幕末史研究会、名古屋では数学史セミナーがあったが、参加できず残念だった。

10月26日(日)「ナビの不調原因は再び迷宮入り・・・の風さん」
 講義のテキスト作成の続きをやっている午前中に、昨日注文した直結ケーブルが届いた。
 カリチューに電話し、午後1時から作業をやってもらうことになり、昼食も摂らず、弾む気持ちで出発した。
 約1時間のドライブでカリチューに着き、すぐに作業に取り掛かってもらったのだが、しばらくして驚くべきことが見つかった。
 なんと電圧コンバーターはちゃんと装着されていたのである。
 その後の調査で、電源ケーブルの接続端子に接触不良がありそうなことが分かったが、そこがちゃんとつながっていてもナビ本体が立ち上がらないことも判明した。どうやら、ナビ本体は完全に壊れてしまったらしい。
 「メーカーに修理に出すしかないですね」というのが結論だった。
 大いに落ち込んだ。
 帰宅し、メーカーに電話すると、近くにショップがあることが分かった。
 気力を振り絞って、また講義のテキスト作成の続きを少しやってから、ワイフと夕食を外で摂るついでに、ナビを修理に出しに行くことにした。
 保証期間内なので無料で修理してもらえると思うが、しばらくナビを使えないのは痛い。
 今日は、東京では理科読シンポジウム、奈良では算額見学会があったが、参加できず残念だった。

10月27日(月)「何となく気が滅入る日・・・の風さん」
 午前中、講義の準備を少しやってから自宅を出発した。今回の東京での講義にはキャメロンで行かない。明日の講義が終わったらすぐ家路につかねばならないからだ。
 名駅で昼食用に菓子パンを買い、新幹線に乗り込んだ。最近お気に入りのこだまグリーンである。しかし、いつもそうだが、車内はガラガラだ。
 今回のこだまには、座席に電源コンセントがあったので(安心して)、iPhoneのテザリング機能を生かし、MacbookAirでメールチェックした。講義の資料作成も少しした。
 シートの背中のポケットに入っている雑誌が早くも11月号になっていて、念のため目次をチェックすると、話題性の高い記事で埋められている。いつも感じることだが、レベルが高い。2冊ともゲットしてカバンに入れた。
 品川で降りてから2本電車を乗り継いで、東大和市に着いた時は、もうすっかりたそがれていた。
 風が冷たく感じられたので、カバンからスーツの上着を取り出して着込んだ。
 クルマで来ても電車で来ても、このへんは両親の育った地域に近いのだが、懐かしさを感じない。決して都市化しているわけではない。かといって、昭和の面影などみじんもない。人はたくさんいそうだが、何となくよそよそしさを感じる。
 寮にチェックインし、作業ができるように荷物を部屋に並べてから、食堂まで夕飯を食べに行った。
 量の多い和食を選んだ。
 夕食後の時間を2つに分けて、講義の準備と読書にあてた。

10月28日(火)「東京から急いで帰宅・・・の風さん」
 朝食後、今日の講義の資料の最終チェックをし、かなり手直しをした。
 毎日少しずつ準備してきた厄介な講義資料だったが、努力したお蔭で、何とか講義を終えることができた。しかし、今朝、講義の直前に手直ししたはずのスライドの1枚がなぜか消滅していた。不思議だ。
 早々に片付けて、研修生らと一緒に中小企業大学校を後にした。
 来た時と逆の順序で品川駅までたどり着いた。最後まで一緒だった研修生一人とそこで別れた。
 夕食用に菓子パン2個を買って、こだま号に乗り込む前に待合場所で食べた。
 帰りのこだま号には座席に電源コンセントがなかったが、メールチェックだけすることにした。
 長男からの意外な内容のメールがあってショックを受けた。
 気を紛らすため、またLINEゲームに時間を費やし、最後に座席ポケットの雑誌に目を通したが、イマイチ集中できなかった。
 午後11時頃帰宅した。
 ワイフと明日の神戸行きの相談をするはずだったが、長男からのメールの話をして意見を聞いてみた。いつも長男の肩を持つワイフだったが、今回は私と同じ意見だった。そして、神戸の帰りに京都の長男のところに寄って、話をしてみたらどうかという提案をしてきた。もっともな提案だったので、そうすることにした。

10月29日(水)「部下たちの真心に感謝・・・の風さん」
 急ぐ旅でもないので、10時15分ごろに、ワイフのアクアで家を出発した。ナビの不調や帰りに京都に寄るかもしれないことを考えると、キャメロンで行くわけにはいかなかった。
 雲一つない秋空はどこまでも高く澄んでいて、絶好のドライブ日和だったが、長男のことで気が重かった。
 緻密に見積もったわけでもないのに、予定通りの午後3時にホテルにチェックインすることができた。メリケンパークに突き出たホテルで、お手軽な値段だった(ブッキングコムを使ったせいかな)が、実際に中に入ってみると、高級感があり、サービスも一流だった。
 早速外へ出た。ここからはガイドブックで予習していたワイフが決めたスポットをめぐった。
 スタジオのようなカフェでコーヒーとスイーツの休憩をしてから、徒歩でハーバーランドのモザイクへ行き、ショッピングを楽しんだ。
 実は、今回の神戸行きの目的は、ここから出るディナークルーズに搭乗することだった。
 会社の元部下(すべて中途採用の若者)たちからの退社祝いで、わたしたち夫婦だけでは決して選択しない贅沢である。
 午後7時20分に出航し、明石大橋の近くまで行って、9時にもどってくる間に、美しい夜景と極上の料理を楽しむコースである。
 それらに感動するたびに、元部下たちの真心をあらためて感じた。感謝感謝感謝である。
 徒歩でホテルへ戻り、私はホテル最上階のバーへ行ってスコッチでも傾ける元気が残っていたが、ワイフはベッドで爆睡してしまった。
 仕方なく、持参のiPadminiを取り出し、動画サイトを利用してドイツ語の勉強を始めた。

10月30日(木)「神戸から京都へ・・・の風さん」
 ホテルの駐車場にクルマを置いたまま、シャトルバスで三宮へ向かった。
 さんちかでブランチにしてから、地上に出て旧居留地を目指してぶらぶらと歩きだした。
 今日も昨日に続いて秋晴れで、日が当たると暑いくらいだった。
 神戸には何度も来ているが、町の中を歩くのは結婚以来初めてかもしれない。つまり約30年ぶり。
 ワイフは旧居留地を見て歩くのだと主張しているが、ガイドブックすら見ていない私には、これから何が見られるのか想像もつかなかった。ただただ人生の不思議(どこかを再訪するたび、前の記憶をたどり、それがずいぶん昔だったことに驚く)を堪能していた。
 38番館のカフェテラスにたどり着くまでに、私はようやく情緒ある古い街並みを生かしたショッピング街になっていることを理解した。
 これは町の中に作り出されたディズニーリゾートみたいなものだと思った。現代のシャッター街と化してしまった旧市街地の再生のヒント(ビジネスモデル)になると、つい経営コンサルタントの頭が働いたりもした。
 徒歩でホテルへ戻って、午後3時過ぎに出発した。
 幸い長男の都合がよく、これから京都へ向かうのである。
 途中で義父からワイフのケータイに電話が入り、来月早々、前立せん肥大の手術を受けることになったという報告があった。11月2日に予定されている母の三回忌の法事を欠席するという連絡でもあったのだが、高齢の義父が手術を受けることは、正直言って非常に心配である。明日あらためて電話で話すことになった。
 午後6時に長男をひろってレストランに食事に行った。
 デザートになったころ、卒業制作の内容を詳しく聞くところから始め、来年4月以降の計画というか考え方を確認し、それから本題に入った。
 今回の懸案事項は芸術家としてのスタンスの問題を含んでいるため、話は慎重に進めなければならなかった。当然まだアマチュアであり、ひよっこアーティストだが、将来へ向けて才能を伸ばしてやりたい。そのための言わばスタートラインで、妙な考え方や進む方向を間違えてほしくなかったのだ。
 食事を含めて3時間にもおよぶコミュニケーションによって、私の気持ちはどうやら長男に伝わったようだった。
 基本は自分一人で解決していくことだが、親としてどうしても助けてやりたくなる。それが今回少し勇み足のような形で問題を生じてしまった感はある(いわゆる親ばか)。しかし、雨降って地固まるのたとえもあるし、結果オーライということにしよう。
 次はドイツの次女の様子だよね、とワイフとうなずき合い、家路についた。
 帰宅したのは午前1時近かった。

10月31日(金)「さすがに疲れている・・・の風さん」
 やっと週末になった。さすがに疲労がたまっている。
 私の予定では、今日は年金手続きに行くつもりだった。しかし、とても無理。書類を書く気力がわかない。
 それでも、月末までにやらねばならないことがあったので、キャメロンで外出した。
 銀行に行って通帳記入してから現金をおろしたのだが、超低空飛行が始まった。
 これからしばらく出費をおさえないと個人財政が破たんする。
 帰りにミニストップに寄って用事を済ませた。
 帰宅したら、ちょうど義父から電話がはいっているところで、1時間以上も話し込んでしまった。長電話した割に、義父のためになる話をすることができなかった。他人と違って肉親とのコミュニケーションは難しい。
 あとは、たまっているメールの処理をして今日は終わってしまった。
 そして、1日中はっきりしない天気だった。明日からが心配である。

2014年11月はここ

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